2009年6月22日月曜日

臓器移植法案についてpart4

臓器移植法案についての個人的なコメントです。
1.脳死の定義について
脳死の定義がA案だと「人の死」、B,C,D案は「臓器提供をする場合に限っての人の死」とある。
どの案もそうだが、脳死=人の死という考え方は一律であれ限定的であれ一緒だと思われる。

まず、B,C,D案は臓器移植を選択しない場合、脳死は死ではないため脳死患者をベッドに寝かせるためだけの医療費がかさむということになり、脳死患者の家族の負担が増える。
一方で、臓器移植を選択すると、脳死患者は死を迎え、移植患者は移植を受けられるチャンスができる。だが、そこで問題なのは臓器移植に対して脳死患者の家族への謝礼金がどれだけ必要なのか?という点である。また、その交渉を仲介するビジネスが始まる可能性が十分ありうる。そのような事を想定した案なのかどうか非常に気になる。その点では、脳死患者の家族も移植患者も苦しまなければならない場面があるということになる。

一方、A案の考え方は脳死患者の家族に対して荼毘に付されるか、臓器提供するかを迫っていて、脳死患者の家族を苦しめるものであると考えられる。
また、移植希望者にとっては移植を受けられるチャンスが現行法よりも大幅に増える。しかし、将来臓器ブローカーによる臓器売買ビジネスが始まったならば、費用負担が増えるという意味では辛くなるかもしれない。

2.党議拘束がなかった点について
臓器移植法案の改正案の特徴として、どの案も複数の党の議員による提案が行われている。
したがって、この法案の採決を党議拘束するのは困難であったと私は考える。
しかし、A案とB案は自民党・公明党の議員がそれぞれ提案していたので、両党の党会議でどの案がいいか決めて、党の意思を統一するという方法を取ることも十分可能だったと考える。
また、党議拘束がなかったことは、選挙を気にするあまり、自分の意思よりも世論の動きを見て判断する議員が現れるなど弊害も生まれている。
私自身は、できれば政党という枠組みがあるので各党で統一した案を出して、それを元に議論してほしかったと思った。
3.共産党が「議論が尽くされていない」という理由で採決を棄権したことについて
まず、「議論が尽くされていない」という点では、今回のA~D案はそれぞれ、2006年、2006年、2007年、2009年に提出されている。
年数から見ればかなり、長い間議論されている話題であるのは間違いない。
しかし、移植に際しての医療費や、保険の適用、臓器提供者への謝礼、ビジネス化の可否など議論し足りないあるいはしていないものもあるかもしれないという点では、議論し尽くされているか疑問に残る点がある。
そういう意味では、議論に参加しないという選択肢もあるかもしれないが、やはり私としては採決に参加して例え無効票になってでも「今の4案のうちふさわしいものはない」などの意思表示を採決においてやってほしいと思うので、共産党の棄権は残念だと思う。

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